沼津大学セミナー「船の科学と歴史」 (7/9開催)

帆船Ami号の溜キャプテンにお話いただきました。

船に関する知識が半端ない溜キャプテン。

今回も、次から次へと船の歴史をお話いただきました。


麻のスーツがよくお似合いの溜キャプテン(右)と、入学式の航海で帆船Ami号の魅力に取り憑かれた石井さん。

船の起源

一番はじめは、動物の皮や、大木、パピルスなどで作られていたようです。

エジプトの壁画に残されている絵を見ると、昔は川上→川下への一方向の移動だったようです。川下へ戻ったら、人力で川上へ引っ張って戻します。昔の人は大変でしたね。


その後、川上に登ることができる船が登場します。

「ラティーンセイル」という三角形の帆を使った船です。


航海学校

各々の技術で船を動かしていましたが、15世紀頃にエンリケ王子という方が「航海学校」という船や技術を伝える学校を設立しました。バスコダガマなど歴史上に名の残る方々が多数卒業されています。


その頃には、地球が丸いこと、緯度・経度の理論があり、この航海学校の授業でも取り入れられました。

緯度1度が60分、90度が5400分

とだそうで、1分あたりの距離=1ノット=1.852km=1マイルだそうです。

緯度や経度の概念ができたことで、地球上での自分の座標がわかるようになっていき、目的地に行くことができるようになりました。


バイキングと船の進化

航海学校もでき、バイキングによって、船も進化していきました。

これまでは、ただのハコだったものが、「骨組みを作り板を貼る」という設計をしたことで、長い船が作れるようになり、補修も楽にできるようになりました。

船の進化により、バイキングはヨーロッパを制覇していったそうです。

人類の欲望は、空と海に出ること!

実は、船と飛行機は、似たようなつくりをしています。

飛行機の羽は船の帆を基に設計されています。

また、船のボディーと飛行機のボディーは、どちらも左=ポート、右=スタポーと呼ばれており、左側には赤いライト、右側には緑のライトがあります。

良く考えると、接岸(乗車)側も左側と、一緒ですよね。


日本の造船は、沼津から!

幕末にロシアから下田に来ていたプチャーチン提督が、船の修理のため戸田港に向かっていたが、船は沈没してしまったそうです。

沈没した船の代わりとなる船を、戸田で造っていきました。

それが「ヘダ号」と呼ばれる帆船でした。

(参考:http://shizufan.jp/netamap/tobu/56234/

この「ヘダ号」造船に携わった船大工たちが、その後、日本の大企業での造船技術を支えていきました。


ヘダ号のような帆船は、しばらくは商船としても使われており、全盛期には、沼津にいくつもの帆船が停泊していたそうです。


現在は、帆船は、このAmi号だけになりました。


沼津が日本の造船の歴史であることを知ると、沼津にある帆船をさらに大切にしていこう、という気持ちになります(^^)

以下のページにイベント情報もありますので、機会がありましたら、ぜひ見にきて乗りにきていただけると嬉しいです。

0コメント

  • 1000 / 1000